エホバの証人の方の誘いで、ある集会に参加しました
2025年4月12日(土) 「イエスの死を思い起こす集まり」
https://www.jw.org/ja/エホバの証人/記念式
この日の集まりはエホバの証人の方々にとって一年の中で最も重要なイベントのようでした
この集会を通して、イエス様の思いやこの世界に遺したものを考え、感じる事ができたので共有したいと思います
イエスの死を思い起こす集まり
集会の内容
「イエスの死を思い起こす集まり」は、イエス様の言葉に従って行われています
また,イエスはパンを取り,感謝の祈りをしてから,それを割って渡し,こう言った。「これは,あなたたちのために与えられる私の体を表しています。このことを行っていき,私のことを思い起こしなさい」。
ルカによる福音書22章19節「新世界訳 聖書」
イエス様が処刑される前夜、「最後の晩餐」として知られるその場で、弟子達に「私のことを思い起こしなさい」と言って、「パンとぶどう酒」を渡されました
イエス様はパンを渡しながら「これは私の体」、ぶどう酒を渡しながら「これは私の血」と言われました
聖句にある「このこと」というのがこの「パンとぶどう酒を配ること」で、「私のこと」というのはイエス様、特に「処刑されるイエス様」を指しています。
パンとぶどう酒を渡しながら、処刑される(死なれた)イエス様を思い起こすように語られました
集会では講演(聖句の解説)が行われ、その中でこの「パンとぶどう酒」が用意されていました
アダムとエバの罪による死の到来、イエス様の死による永遠の命と希望、その上でイエス様と神様(エホバ)への感謝について話がありました
そうして聖句の通り、祈ってからパンが乗ったお皿を回していき、再び祈ってからぶどう酒の入ったグラスを回しました
パンと言っても、よくイメージするフワフワのパンではなく、煎餅のようなものでした
集会を通して感じたイエス様の「遺産」
「イエス様は死ぬために来たのではない」というのは家庭連合の信徒にとって共通認識です
洗礼ヨハネをはじめ、イスラエルの人々がイエス様をメシヤとして受け入れていれば、死ぬ(殺す)はずがありません
イエス様の死(と復活)による救いはあくまで「二次的」な摂理であって、本来は「生きて」メシヤとしての責任を果たすべきでした
しかしメシヤを待っていたはずのイスラエルはイエス様を受け入れられませんでした
メシヤだと証した洗礼ヨハネもイエス様に従わず、もはや「生きて」摂理を完成させる道が閉ざされてしまいました
イエス様の死が確実になってしまった時、イエス様は考え、またモーセやエリヤ、そして神様と相談して第二次的な摂理を持って、未来に希望を託すことにしました
メシヤを送る「選民」として準備されたイスラエル民族が、イエス様を信じないばかりか殺してしまおうとしたのです。もはや彼らを「選民」にすることはできません
それで「次なる選民」、それがイエス様を信じる人々、つまりキリスト教徒(クリスチャン)をであり、その「選民」を遺すための戦略が、この「最後の晩餐」でのやり取りだったのだと思いました
パンとぶどう酒を回すこと、それによってイエス様の死を思い起こす「行い」
これはイエス様が命をかけて残した遺産だと感じました
サタンが奪うことのできない、次の摂理(再臨)に向けたイエス様の戦略です
イエス様は命をかけて、キリスト教、クリスチャンという遺産を遺されたのだと思います
その実として、今のエホバの証人ような、「イエス様を思い起こす人々」が遺されてきたのだと思います
そう感じると、イエス様への感謝があふれてきました
イエス様に対して、私自身は原理を通して「本来の使命を果たせなかった(=失敗した)」と捉えていたことがあります。家庭連合(統一教会)を異端視し、反対するキリスト教の方々も、この「イエス様は失敗した」という考えが受け入れられない部分があるのではないかと思います
しかし私は今、イエス様は失敗したのではないと思っています
むしろ、イエス様の力(責任分担)だけでは成就できなかったみ旨(天国実現)に対して、サタンとの戦いを最後まで食い下がってくださった結果がこの「行い」であり、クリスチャンとキリスト教の歴史という「遺産」だと思います
イエス様はその生涯、命を懸けて、「愛」と「言葉」と「キリスト教(クリスチャン)」をこの地に遺してくださいました
そのことがこの「イエスの死を思い起こす集まり」を通して感じられ、感謝の思いが湧いてきました
イエス様が抱えている恨(ハン)、それは完全なみ旨成就ができなかったことだと思います。「生きて」み旨を果たすことができなかったことだと思います
この恨(ハン)を開放して差し上げるためには、イエス様が遺されたこの「遺産を相続」して、つまり「全てのクリスチャンと一つになって」天国実現を成すことだと思います
イエス様が人生をかけて遺してくださった「愛」と「言葉」と「キリスト教(クリスチャン)」に感謝して、これからも頑張っていきたいと思います
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